米GM、80年前に自動運転構想 消えたケーブル敷設案 

1939〜40年の博覧会でジオラマ展示


1939〜40年のアメリカで開催された世界博覧会において、GMが展示した「Futurama」のジオラマの一部(Public Domain in America)

近年活発化している自動運転技術の開発。21世紀前半を代表するであろう産業分野であり、その歴史は浅いと思いがちだが、一説によると第二次世界大戦前の1940年ごろを起点にするという。さかのぼること80年前にどのような発想で誰が自動運転を考えていたのか、歴史を振り返る。

■1939〜40年の世界博覧会でのGM構想

自動運転の歴史については、産業技術総合研究所の津川定之氏の論文「自動運転システムの60年」が詳しい。







論文によると、自動車の自動運転の最初の提案者はアメリカ自動車メーカーのゼネラルモーターズ(GM)と言われている。GMは1939~40年にニューヨークで開催された世界博覧会で、20年後の生活を描いた「Futurama(FutureとPanoramaの合成語)」=日本での読み方は「フューチュラマ」=というジオラマを展示し、その中で自動運転の未来が構想されていたようだ。

しかし、事故と渋滞の解決を目的に自動運転の研究を最初に開始したのは1950年代に入ってからだ。きっかけとなったのは、吹雪の高速道路で発生した重大な交通事故を知った当時の米国ラジオ会社(RCA)副社長の提案とされている。

当時は検討された手法は、道路に誘導ケーブルを敷設して電流を流し、車両の前バンパーに装着した誘導コイルで磁界を検出して制御を行うものだった。自動車単独ではなく、道路と自動車が協調した形で自動走行を行う仕組みだ。

この手法は米国をはじめ英国や日本でも研究されたが、運用・保守にかかる負担が大きいため、実際に公道で用いられたのはスウェーデンとドイツの路線バスの停留所付近のみにとどまったという。

■1970年代には「マシンビジョン型」が誕生

次に研究が進むのは1970年代。1977年に世界で初めてマシンビジョンを用いた自動運転システムが誕生した。

日本の通商産業省機械技術研究所が開発した知能自動車で、垂直方向に配置された2台のカメラが視差に基づいて立体物を検出する仕組みで、時速30キロメートルでテストコース上のガードレールを検出して走行したという。1980年代には、差動オドメーターに基づくデッドレコニング機能をもたせ、走路の地図と組み合わせて自律ナビゲーションの実験を行った。

【参考】「マシンビジョン」とは、人の目の代わりに画像を認識し、位置決めや種別、計測、検査を行うシステムのこと。デッドレコニングとは、GPSを利用した測位システムにおいて、トンネルなどでGPSの信号が受信できず測位不能になった場合でも、外部から入力された方位情報や加速度情報を使用することで測位を可能にする技術のこと。
■1980年代には世界各国で実証スタート

1980年代後半になると、各国の ITS(高度道路交通システム) プロジェクトにおいて自動運転システムは大きく取り上げられ、単独車両の自動運転だけでなくプラトーン走行(隊列走行)が新たに出現し、路線バスや大型トラックなども自動運転の対象となった。

ヨーロッパでは、車両の全周を視野とするカメラ計18台と高い演算能力をもつマシンビジョンを備えた自動運転車が開発され、時速100キロメートル以上でレーン追従や車線変更を行うことができたほか、先行車を検出することもできたという。

米国では再度走行コースに沿って永久磁石を埋設して横方向の制御を行う研究などが始まったが、近い将来導入される可能性がなく、産業への寄与が期待できないとしてプロジェクトは中止された。日本でも同様に磁気マーカー列を用いた路車協調型の自動運転道路システムのデモを行ったが中止となり、自動車間で通信をつなげて柔軟な隊列走行を行う協調走行システムの実験などを行った。

■21世紀、AI技術で実用化の研究進む

21世紀に入ると、近い将来の実用化を目指した研究開発が進み、自動車メーカーだけではなく米グーグル社などが人工知能(AI)技術を武器に台頭し、スタートアップ企業も続々と誕生している。最初の構想から80年。自動運転車が実現するのがこの第四期なのかもしれない。

【参考】自動運転史については「J-Stage論文検索 自動運転システムの60年 – 津川定之氏」も参照。






関連記事