応募の嵐を生む、トヨタ自動運転子会社TRI-ADのオフィス哲学

東京日本橋の新拠点で虫上COOにインタビュー



自動運転ラボの取材に応じてくれたTRI-ADの虫上COO=撮影:自動運転ラボ

2018年3月にトヨタの自動運転のソフトウェア開発を担う子会社として設立されたトヨタ・リサーチ・インスティテュート・アドバンスト・デベロップメント(TRI-AD)に、いま国内外の技術者からの応募が殺到しているという噂を聞いた。

謎だ。開発競争が加速する自動運転領域では、大手自動車メーカーでさえエンジニア確保に苦労しているはずなのに、なぜTRI-ADには応募が殺到しているのだろう。自動運転ラボはその理由を探るべく、TRI-ADにインタビューを申し込んだ。


東京・日本橋に誕生した新複合施設「日本橋室町三井タワー」に今年7月に拠点を移転したTRI-AD。16階から20階にまたがる総面積21,500㎡の新オフィスで迎えてくれたのは、TRI-ADの創業メンバーで最高執行責任者(COO)を務める虫上広志氏だ。

インタビューでは新オフィスで技術者たちが取り組む研究開発の内容や、トヨタ本体との注力領域の違いは何かなどについてインタビューした後、冒頭に触れた「謎」を解き明かすべく、新オフィスを案内してもらいながら同社の採用戦術のヒントを探った。

記事の目次

【虫上広志氏プロフィール】1994年に自動車業界に入り、2001年にトヨタ自動車に経験技術者として入社。専門はパワートレイン、車両運動制御、電子プラットフォーム。2008~2011年にトヨタ・モーター・ヨーロッパ(ベルギー)に駐在。その後、電子制御分野の戦略企画主査を経て、2018年7月からTRI-AD創業メンバーの一人としてCOO(最高執行責任者)の立場で着任。自動運転技術で交通空白地帯や農業従事者の高齢化等の社会問題を解決することが夢。

■目標は「世界で最も安全な車を作る」こと
Q 自動運転開発でトヨタ本体とは異なる部分を担当されているのだと思いますが、TRI-ADとして担っているメイン領域はどのような分野でしょうか?

虫上氏 私たちはトヨタのジョイントベンチャーとして、「世界で最も安全な車を作る」という目標を持っています。5年間で3000億円規模の開発を進める計画で、自動運転ソフトウェアを作るための「開発環境ツール」の開発が注力領域の一つですね。


これがしっかり作れると自動運転のソフトウェアもバグフリーで信頼性の高いものが作れるようになります。今まではツール開発が追いついておらず、人海戦術で一生懸命作業していたものをいかに効率化するかというのがテーマです。自動化された開発環境を整えることでコストを圧縮しつつ、新しい展開も目指せると考えています。

CEO(最高経営責任者)のジェームス・カフナーもよく語っているのですが、自動運転開発で最も難しいのは、いかに信頼性が高く、バグフリーのソフトウェアを作って製品化できるかという部分です。それを実現するには開発環境を整えることが大切になってきます。私たちはトヨタグループとしてシミュレーションなどのデータを持っていて、それを活用しながらさらに開発環境自体もシミュレーションして信頼性の高いものを作っていけるのが強みですね。

自動運転ラボ TRI-ADさんは高精度マップなどのプロダクトが目立っているイメージでしたが、「自動運転車を作るツール」自体をつくっているのですね。

虫上氏 高精度マップに関しても、マップ自体の作成ではなく、「地図を自動生成するツール」の開発を担っています。もちろんそこで出来上がった地図は活用していきますが、それはあくまで産物であって、マップを自動で生成できるツールを作り上げることに注力しています。


Q ちなみに自動運転ソフトウェアを開発する企業は多数ありますが、トヨタとしてもプラットフォームを提供する方針ですか?

虫上氏 私としては、そういう立ち位置に持っていければ、という思いはあります。ただ、特定の領域で得意な部分を持ってらっしゃる企業もありますので、そういう企業とのパートナシップも出てくるとは思います。

■最近入社の50%は外国籍技術者、400人から1000人規模へ
Q オフィス移転で新体制がスタートしたばかりですが、最終的には人材面ではどれくらいの規模感を目指していますか?国内外から応募が殺到しているという噂を聞いています。

虫上氏 現在は約400人で、昨年TRI-ADを立ち上げた際には「1000人規模」と発表しています。(東京オリンピックが開催される)2020年に向け、オリジナルの商品やサービスを創っていきたいと考えていますので、そのロードマップによって多少変動はあると思いますが、基本的には1000人規模を目指しています。

自動運転ラボ ダイバーシティ(多様性)という観点で見ると、日本人と外国人の比率はどれくらいですか?

虫上氏 トヨタからの出向者も多いため、まだ比率で言うと日本人が多いです。ただ、現在も多いときは月に10名以上採用していまして、半分ぐらいが外国人の方になってきています。弊社に入るために日本に来る人もいますし、東京に住んでいる外国人の方もいます。

自動運転ラボ エンジニアの採用で苦労する企業が多い中、月に10名も中途採用できるのはなぜですか?謎に感じていました。

虫上氏 ハイヤリング(採用)は比較的順調なほうではないかなと思います。トヨタのお膝元である(愛知県の)三河で募集していた頃は地理的なハンディキャップもあったと思いますが、東京で採用活動ができているのも大きいと思います。ジェームス・カフナーがもともとGoogle出身なので、Googleなどもベンチマークしながら環境を整えてきたのが成果につながっていると思います。「働く環境」にもこだわっています。あとでオフィスをご案内しますね。

■子会社像からの脱却、「新しい価値を生み出す会社」
Q 働く環境として国内でダントツに良いかと思います。2018年の立ち上げから素早くこの体制を整えられたポイントは?

虫上氏 トヨタはトップが「100年に一度の大変革」という言い方をしてどんどん変えていくという意思決定がありますので、僕らが具体的に考えたこともスピーディーに進んでいます。

自動運転ラボ 日本のグループ子会社はどうしても本体の影響を受けやすい雰囲気があります。御社とトヨタの間ではそのような縦割り的な軋轢は全然ないものですか?

虫上氏 今までの日本の子会社の多くが、本体でやっている仕事のコストを抑えるという目的があって設立されていたと思います。ただ僕は予算を取り行く時に「TRI-ADは子会社ですが、新しい価値を生み出す会社です」と経営陣に伝え、そのための投資が必要だと説明し、理解を得ることができました。立ち位置が今までと全然違う子会社であるというのも、スピーディーに体制づくりが進んでいる一因だと思います。

Q トヨタから出向してきた方や中途採用の方で給与体系が変わってしまうケースもあると思いますが、処遇面での軋轢などはあるものですか?

虫上氏 どこから入って来たかという部分で差が出てしまうのはどうしても仕方がないところですが、一緒にプロダクトをつくり、お互いが必要な存在であることを感じれば、処遇面での差は気にならないのではないかと考えています。

開発チームには従来からの出向者も中途採用者も両方入れています。シリコンバレーからきたトップタレントも、開発したシステムを車に納めようとすると、自動車のことを知っている人がいないといけません。ソフトウェアとハードウェアの両輪が揃って初めて良いものができると思いますので、そういうチームを作って小規模ですがプロトタイプを出せるところまで来ています。

■「物の自動運転」も視野、サービサーとタッグも
Q トヨタグループとしては2020年の東京オリンピックに合わせて自動運転を走らせることが決まっていますが、その先の自動運転戦略はありますか?

虫上氏 正直な話、完全な自動運転を本当に製品化するのは容易なことではありません。エンドユーザーが使える形で何年に出せるかという点に関しては、現時点ではまだ断定はできません。ただ自動運転で運ぶ対象を考えたときに、「人」よりも「物」の方が導入は早いと考えていますので、このような取り巻く環境も頭に入れながら開発を進めています。

自動運転ラボ トヨタとしては乗用の自動運転車というイメージが強いですが、TRI-ADとしては物流分野の自動運転ビークルもビジネスとして視野に入れているということですか?

虫上氏 もちろんスコープは持っています。e-Palette(イーパレット)のコンセプトを見ていただくと分かるのですが、物を運ぶことも見据えています。自動運転開発ツール群を作っていく過程で、物流分野のサービサーと組んでいくということもあると思います。

■オフィスには全長200メートルの「ストリート」、ウィングレットも

インタビューの後、虫上COOに新オフィスを案内して頂いた。

TRI-ADのオフィスは従来の自動車業界のイメージを一新させる斬新な雰囲気だ。一番印象的なのは、オフィスをぐるりと囲む全長200メートルの「ストリート」。この道路の移動手段として「ウィングレット」や「セグウェイ」などのパーソナルモビリティも用意されており、自動車以外のモビリティに触れることを通じ、このオフィスで働く人がさまざまな視点を持てることにつなげるねらいもあるようだ。

また、フロアごとに2か所設置されたキッチンスペースでは、昼食を取ったり、雑談したりと、社員同士がコミュニケーションを取りやすいようにもなっている。レゴブロックや木の積み上げパズルなどが置かれているなど、遊び心も満載だ。

各チームのデスク前には専用のボードと棚が設置されていて、チーム独自の飾り付けがされている。開発に役立ちそうな参考資料がずらりと並べられているチームもあれば、メンバーの顔写真付きプロフィールを掲載しているチームなどあり、自由な社風が見て取れる。

打ち合わせ専用の会議室もあるが、フロアの各所にはテーブルとチェアのオープンスペースも多数あり、どこでも自由に打ち合わせができる。壁一面がホワイトボードになっているスペースなど、アイデアを出し合いながら生産的なミーティングができそうなスペースもあった。

自動運転ラボ ありがとうございました。自動車業界のオフィスとは思えないような斬新なオフィスですね。

虫上氏 ありがとうございます。設計していく段階でワークショップを5回開き、我々だけでなく全社員の中から手を挙げたメンバーにも意見を出してもらって作ったことも大きいと思います。

自動運転ラボ 今後自動運転業界に優秀なAIエンジニアを集めるために、夢をアピールすることも重要だと思いますので、ぜひどんどん発信していってください。今日はありがとうございました。

虫上氏 そうですね、私も夢は必要だと思いますので頑張ります。ありがとうございました。

■【取材を終えて】先進的なアイデアを生み出すのにふさわしい場所

「いかに新しいアイデアを生み出せるか」という視点にこだわって設計されたTRI-ADの新オフィス。非常に合理的かつ機能的なオフィスは、まさに技術者集団が先進的なアイデアを生み出すのにふさわしい場所となっていた。「世界一安全な自動運転車を目指す」という理念の具現化に向けたTRI-ADの取り組みから、今後も目が離せない。

【参考】2019年3月に開催された「自動運転AIチャレンジ」のパネルディスカッションでは、TRI-ADの最高技術責任者(CTO)の鯉渕健氏も登壇しており、働く環境作りの重要性について語っている。記事は「【激論・自動運転】「値」で示す法律を、「AIの行儀」も重要 自動運転AIチャレンジでディスカッション」より参照。


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